ALE & BOOKS & CIDER 2024|くにぶる醸造長 斯波克幸
読書に合うのは、どんなビールだろう?
1冊目は、KUNITACHI BREWERY 醸造長 斯波克幸が選んだ『アースダイバー』からスタートします!
ALE & BOOKS & CIDER 2024
https://kunitachibrewery.com/ale-books-cider-2024/
中沢新一『アースダイバー』 講談社 2005年
中沢新一の『アースダイバー』は、日本の文化や都市の成り立ちを、彼独自の定義による「海民」という象徴的な視点から読み解こうとする試みである。「アースダイバー」とは、地層の深層を潜り抜けるように文化の根底へと迫る探索を意味し、その視点として中沢は「海民」を取り上げている。中沢は「海民」を、日本列島の歴史や文化の根底に存在する、外部から訪れた異質な文化や人々の象徴として用いている。
この本を読んでいて、「海民」という象徴的な解釈には少なからず疑問を感じた。しかし、それでも中沢の意図する「問いかけ」に耳を傾ける価値があると思ったのだ。なぜなら、「海民」という象徴そのものはさておき、私たちが暮らす町には見えない物語が流れているかもしれないという視点には共感するところが多かったからだ。そして、「アースダイバー」という言葉には、地層を掘り下げるように文化の深層を探求し、立体的な広がりの中に存在するであろう見えない物語を見出そうとする、非常に魅力的な響きがある。
本書の持つ真の魅力は、単なる学術書としての範疇を超え、文化と歴史を別の角度から照らし出している点にある。中沢が「海民」に託した象徴的な視点は、私たちの日常に潜む無数の断片を「地層」として見立て、それを掘り下げることで、私たちが普段は見過ごしている町の深層に新たな光を当てようとするものだ。町に対する視点を刷新し、過去と現在が重なり合う場所に流れる見えない物語に意識を向けさせることで、本書は読者に独自の「アースダイビング」を促しているのである。
ただ、どうしても「海民」という言葉には違和感を拭えなかった。「海民」という言葉が呼び起こすのは、海を越えて舟でやってきた者たちのイメージであり、それはあまりに単純化されているように感じた。日本列島の基層を形作っているのは、遥か昔、大陸と地続きだった時代に陸路を渡ってきた旧石器時代の人々である。その後、縄文や弥生の時代を経て、異なる文化的背景を持つ集団が多方から流入し、何世代もかけて日本列島に融合し、独自の文化を形成していった。文化の成り立ちを「海民」という一つの象徴で一括りにするのは、むしろその多面性を覆い隠してしまうのではないかという気がしてならない。
そこで、私は「海民」を「境界者」、さらに人に限らず「あわいのもの」という和語に置き換えて考えたくなった。「あわいのもの」とは、陸と海、外部と内部の境界に位置し、流動的な生を営む存在や概念としておこう。日本語の「あわい(間)」には「境界」の意味がある一方で、明確に定まらない曖昧さや多様性も含まれており、それは日本人が本能的に持つ柔軟な美意識とも響き合う。日本列島の住民が異質なものを受け入れ、消化し、自らのものにしてしまうのは、この「あわい」に生きる性質も根底にあるのかもしれない。
そして私たちの町や文化には、異質なものが出会い、交わり、そして新しい価値が生まれる「あわい」が無数に存在しているのではないか。「あわいのもの」は、そうした場所に適応し、新しい文化を作り上げてきた日本の歴史や日常そのものを象徴しているように思うのだ。
ビールもまた、かつては外部から日本にやってきたものであり、やがて日本の文化と結びつき、独自の味わいと記憶を刻んできた。「あわいのもの」として日本に定着したビールは、異文化が溶け込み変容を遂げる中で、日本独自の風味を纏い、今では日本文化の一部として深く根付いている。文化や技術が「あわい」を漂いながら日本に根付く過程は、私たちの町や生活に隠れた無数の物語とも重なり合い、私にとって象徴的な意味を持つ。
町は廻っている。見えない物語や無数の「あわい」を抱えながら、新たな価値や文化を創り続けている。この『アースダイバー』という本は、あらゆるものが交わるこの「あわい」を探るためのダイビングそのものであり、町が廻り続けるその背景には、こうした「あわい」と「あわいのもの」が存在する可能性を思い起こさせてくれる。学術的な正確さへの疑問はさておき、日常に息づく見えない物語を想像する力や、町や文化を掘り下げる視点を改めて言語化するきっかけを与えてくれる魅力的な一冊だ。
表層を流れる時間とは別に、目には見えない地層の深層で、静かに、しかし確実に物語は積み重なり続けているのだ。それでも町は廻っている。『アースダイバー』は、そんな深奥の物語を探り当てるための旅であり、町が廻る限り、私たちのダイビングは終わらない。
斯波克幸
KUNITACHI BREWERY 醸造責任者